慶応義塾横浜初等部
URL/ http://www.yokohama-e.keio.ac.jp/
紹介ページ/ http://www.jyukennews.com/s-shuto.html
〒225-8502 神奈川県横浜市あざみ野南3-1-3
TEL/045-507-8441
◇アクセス
東急田園都市線「江田」駅より徒歩10分
学費
授業料(年): 約940,000円
入学金: 340,000円
その他: 約580,000円、
昼食時飲料代:
寄付金: 任意。 10万円 3口以上
建学の精神
■「我より古をなす」
安政5(1858)年、慶應義塾は始まりました。藩士らに蘭学を教える者がいなくなり困っていた中津藩の命で、大坂の適塾にいた福澤先生が江戸の藩邸に招かれたのがきっかけです。
しかし、先生は、次第に塾の経営を自らの使命として強く自覚することになります。特に、文久2(1862)年、幕府の遣欧使節の一員として渡欧した際には、欧州各国の事情を探索する中で、人物の養育の必要性を切実に認識することになりました。
慶應4(1868)年には、中津藩邸を離れ、独自に土地建物を購入して芝新銭座に移転します。この時、時の年号をとって「慶應義塾」と命名しました。丁度、江戸の市中は戊辰戦争の混乱の中にありましたが、慶應義塾は砲声を聞きながら、一日も休業することはありませんでした。実際に我が国の洋学の命脈を守った学塾としての自負を胸に、自分達が、日本の洋学の伝統を引き継ぎ、更に新しい時代を切り拓いてゆくのだという「自我作古(我われより古いにしえをなす)」の使命感はより強いものになりました。
■慶應義塾風 〜独立自由にして而も実際的精神〜
明治4(1871)年、慶應義塾は三田に移転し、更なる発展の基礎を固めます。この前後、先生は多くの著書を執筆、刊行していますが、注目すべきは、『西洋事情』、『学問のすゝめ』等だけでなく、『訓蒙窮理図解』、『世界国尽』、『啓蒙手習之文』、『童蒙教草』をはじめ、子供向けの本を精力的に執筆すると共に、家庭の啓蒙に努めていることです。人間の成長、発育におけるかけがえのない時期として、子供の年代の教育を重視していたのです。
慶應義塾においても、当初は様々な年代の塾生が渾然一体となって学んでいたものを、次第に年齢に応じた教育環境を整えていきました。明治初年には年少の寄宿生のために童子寮を設け、そして、明治7年には幼稚舎が創立しました。明治23年、大学部を発足させると、従来の課程は普通部と称されることになります。更に、学校間の年齢の重複等を解消し、明治31年、今日に至る義塾の一貫教育の制度が確立しました。
この時、満6歳から22歳までの一貫教育の特色について先生は、「その卒業生は学問に於て敢て他の学生に譲らざるのみか、十六年の苦学中には一種の気風を感受すべし。即ち慶應義塾風にして、(略)之これを解剖すれば則すなわち独立自由にして而しかも実際的精神より成る」と説明しています。『福翁自伝』に、「東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較してみるに、東洋になきものは、有形において数理学と、無形において独立心と、この二点である」という有名な一節がありますが、「独立自由にして而も実際的精神」に対応する記述と言えます。
■真に大切なものを揺るがせにしない
「独立自由にして而も実際的精神」とは、既存の概念、権威や時代の流行等に迎合したり縛られたりすることなく、それらから自由に、自分で徹頭徹尾考え、実践することのできる独立の気力、そしてそれを可能にするあらゆる事物と現象を丁寧に観察し、その背後に潜む真実や真理原則を見抜く科学的な思考力と言えます。
慶應義塾は、塾生一人一人にこのような精神の涵養を期待して来ましたし、学校そのものも、その姿勢を大切にして来ました。
慶應義塾の一貫教育は、今日では、1つの小学校、3つの中学校、5つの高校、更に大学、大学院で成っていますが、それぞれの学校の歴史を見る時、特にそのことが分かります。各校は、そこで学ぶ塾生達に真に大切なものは何かを常に問い続けて来ました。
その結果、例えば、その時代の情勢からはかけ離れて新たな取り組みを行ったものが、後の世では当たり前になっていることもあります。逆に、その時代には流行した教育法に安易に迎合せず、流行に振り回されないで済んだことも多々あります。また、昭和10年代の軍事色の強い時代や戦後間もなくのGHQの意向が強かった時代においてさえ、その風潮や行政の意向に対して毅然とした姿勢を保ち続けたエピソードが幾つも残っています。
特に、人間としての普遍的な基礎を作る初等教育段階において、この、時代の流行や社会の風潮に振り回されることなく、人間としての発達段階に応じて、その段階の子供に真に大切だと考えることを些かも揺るがせにしないという姿勢が持つ意義は極めて大きいものがあると私達は考えています。
教育の特色
■横浜初等部が目指すもの
慶應義塾は、安政5(1858)年の創立以来その形を次第に整え、明治31(1898)年、今日に至る一貫教育の制度を確立しました。それから一世紀余を経て、社会はその変化を更に加速させ、国際化・グローバル化への対応が強く求められています。今後益々、様々な価値観・利害が錯綜する、複雑で変化の激しい時代になっていくことでしょう。一方で、子供達を取り巻く環境は、家庭や地域の機能の低下が指摘されるように、様々な課題を呈して来ています。
横浜初等部では、独立自尊の精神を体現した将来の社会の先導者を育てるために、今の子供達を取り巻く環境と、子供達が社会に出て活躍する時代を共に見据えながら、新たな教育を創り出していきます。勿論、人間としての基本的な資質を育む年代である以上、新しさを殊更に衒うことなく、普遍的な教育を大切にしなければならないことは言うまでもありません。
入学間もない時期には、健康な身体と共に「律儀正直親切」な性質を養うことに力を注ぎます。律儀とは、自分のなすべきことを考え、それをまめに努めて行うことです。自分のなすべきことは、年齢と共に公の役割にまで広がっていきますが、その習性は、幼少期に、自分の身近な生活の中で行うことから始まります。そして、6年間を通じて、知力、体力、気力、表現力、人の心を思いやる力、異なる価値観を超えて協力する力、社会的責任感と倫理感など、多様な資質を育みます。
そのために日々の教育は、基礎学力の重視はもとより、「体験教育」、「自己挑戦教育」、「言葉の力の教育」を三つの柱に展開します。
卒業する時に、その基礎が培われていることを期待する資質は、福澤諭吉先生以来の建学の精神に照らせば「身体健康精神活発」と「敢為活発堅忍不屈の精神」の二語に集約できます。強健な身体、気力と快活さに富んだ精神、そして、弛まず積極的に事をなす姿勢、自ら思慮判断する智力に裏付けられた勇気があって初めて、将来の益々複雑で変化の激しい時代において、直面する様々な困難に粘り強く取り組むことができると考えるからです。
なお、福澤先生が「一家は習慣の学校なり」と言ったように、子供の教育において家庭の役割は大きいものがあります。在学中に、家庭も家庭として育つ学校でもありたいと思います。
■体験教育
授業時間内と課外の活動、校内と校外の活動のいずれにおいても、具体的な観察・体験を大切にします。抽象的な概念や理屈も、そのまま受け入れるのではなく、自ら能動的に観察し体験することで初めて実感を以て理解できるようになりますし、その繰り返しの中で、物事の本質を掴む洞察力も培われます。
昨今の子供達は、核家族化、自由に遊べる空間の狭小化、バーチャル・リアリティのゲーム機の普及等によって、生活や遊びの体験が乏しくなっています。それだけに、非日常的な体験だけでなく、日常の生活と結びつく体験や創造的な遊びを豊かにすることが益々大切になっています。
■自己挑戦教育
自分の得意なことで更に高い目標を定めて達成したり、逆に苦手なことに積極的に取り組み、少しずつでもできるようになる体験を大切にします。例えば、運動から知的な活動へというように、その子供にとって得意で愉しい活動で得た自信をそれ以外の活動に広げていくことが大切です。その積み重ねが、どんなに難しいことでも、自分にはやり遂げることができるという自負と強い気力を生み出します。
昨今、くじけやすい子供、困難と向き合えない子供が増えているとしばしば指摘されています。しかし、これからの時代の先導者となるためには、困難に直面しても、くじけることなく粘り強く取り組み解決する力が求められているのです。
■言葉の力の教育
良書に親しむことや、自分の考えを他人が理解できるように言葉で表現する訓練等を通じて、あらゆる思考の基盤となる読む力と書く力、更に他者との協働を可能にする聞く力と話す力を養います。
近年、大学生に至るまで、読む力、書く力が低下して来ています。加えて、インターネット等で安易に不確かな情報に頼る傾向も強くなっています。このような中で、あらゆる教科にわたって、確かな学力の基礎、論理的な思考力の基礎として、言葉の力が益々大切になっています。また、言葉の力を、現象を読み解く力、問題を見出し解決する力につなげるために、文字としての言葉だけでなく、数や量を扱うことにも力を入れ、いわば科学の言葉、科学の文法の基礎も養います。